琉球ガラスの歴史

 沖縄でガラスが造られたのは、今からおよそ100年ほど前といわれ、戦前は主にランプのほや、くすり瓶、つけもの瓶等の実用的な物が型吹きで造られておりました。
 戦後、沖縄におけるガラス工場の復興は、戦前から造っていた人たちや、疎開先から引き上げてきたガラス職人たちが、本土から技法を取り入れ生産を始めました。
 数ある沖縄の伝統工芸に中で、もっとも歴史が浅く、ガラス工芸として脚光を浴びたのは戦後、米国駐留軍でHandicraft(手作り)として面白さがかわれ、その内容も生活用品からインテリア小物として使われるようになり、需要が増えガラス造りが盛んになりました。

 昭和47年以前(復帰前)のガラス製品は、その生産の60%を米国に20%を本土に輸出し、残りの20%が県内で販売されましたが、顧客のほとんどが米国駐留軍人でした。
 この事からも分かるように、製品はすべて米国人の生活様式と好みに合わせて造られた、パンチボールセット、サラダボール、ドレッシング用の瓶、ワイングラス、シャンパングラス、造花などが現在までに生産され、現在では沖縄の民芸品のひとつとして取り上げられております。
 沖縄ガラスの生産材料は、化学成分から言えばソーダ石灰ガラスに属します。
 摂氏1300度以上の壺の中で融解されたガラスを鉄製の管(吹きざお)に巻き取り、ガラス吹きにかかりますが融解ガラスが冷えてしまわない内に手早く形成しなければならない為、熟練された技術が要求され一つの製品が出来上がるまでには、融解→形成→除冷と約40時間ほどの時を費やす事になります。